2024年9月29日の神戸新聞に、能登半島地震への災害義援金を、尼崎市社会福祉協議会に寄託した、眠っている時計を人生のストーリーとともに甦らせる時計修理店「タイムリペアY」が取り上げられました。
神戸新聞の記事はこちらです
https://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/202409/0018172803.shtml
【概要】
眠っている時計を人生のストーリーとともに甦らせる時計修理店 タイムリペアY(兵庫県尼崎市、代表 池 洋輔⦅いけ ようすけ⦆)は、9月1日の防災の日に向け、8月29日(木)11:00、尼社協ほっと館(尼崎市南武庫之荘3丁目24番5号)にて、尼崎市社会福祉協議会に、能登半島地震災害義援金を寄託しました。
この災害義援金は、当店が、ご家庭で眠っている時計を引き取り(有償または無償で)、それを販売して得た売上金全額を寄付したものです。今後も、2024年12月末まで使っていない時計を募集し、販売した売上金を全額、能登半島地震災害義援金として、尼崎市社会福祉協議会を通じて寄付します。
【経緯】
代表の池は、昨年9月、尼崎三和西町商店会に時計修理店を開業以来、地元の皆様にお世話になっており、日頃から、地域や社会に恩返ししたいという想いを抱いてきました。
能登半島地震が発生し、時計を通じて、何かお役に立てないか模索してきました。被災地の時計店が無償で時計の修理をしているという新聞記事を見て、当店もやりたいと思いましたが、尼崎から能登までの距離を考えて、断念しました。
そんなとき、代表の妻が、京都のネット雑貨ショップ(ouchi_kyoto)が作家のB品を無償で譲り受け、その販売売上を寄付していることをインスタグラムで知り、当店も、顧客から眠っている時計を引き取り、その販売売上を寄付しようと考えたのです。
新たに新品を買わなくても、現在ご自宅に眠っている時計を、分解掃除、電池交換し、再利用して使っていただくことを、お客様に提案しています。実際に、休眠していた時計を再生させると、感動してまた使い始めてくださいます。「使い捨て」ではなく「使えるものをできるだけ長く使う」という、モノを大切する生き方を、広めていきたいと考えています。
アナログの時計には、デジタルの時計にはない、家族や友人にまつわるストーリーがあることが多いと感じています。だから、使い捨てにするのではなく、できるだけ眠っている時計を動かして使っていただき、モノとともにそのストーリーを大切にしてほしい、ストーリーを思い出して豊かな気持ちになってほしいと願っています。
代表自身、とてもかわいがって育ててくれた祖父愛用のRADOを譲り受け、オーバーホールして再生し、自分用にアレンジした上で身に着けています。代表の妻は、高校入学のとき、自分が選んだ時計を叔母に買ってもらったことを、今でも鮮明に覚えています。2人とも、時計を見るたび、その人のことを思い出し、温かい、豊かな気持ちになっています。
顧客は、最初は何も言いませんが、持ち込んだ時計を修理して動いたとき、必ずといっていいほど、その時計にまつわるストーリーを語ってくれます。
開店したばかりの頃、髙尾 誠とおっしゃるお客様に、G-SHOCKの電池交換を依頼されました。電池交換の作業をしていると、「その時計は、阪神大震災の時、壊れた家の瓦礫の中から見つけたんだ。阪神大震災の時は、まだ学生だった」と、震災時のお話をしてくださいました。震災をお客様と共に乗り越えたG-SHOCKが動いたとき、私もお客様も、思わず感嘆の声をあげました。これからまた再び時計がお客様と一緒に人生を歩めるお手伝いができたことに、やりがいを感じました。
ベルト交換でいらっしゃった杉本 泰子とおっしゃるお客様が、時計について思いを巡らせるうち、ふと亡くなったお父さんの時計を思い出されたそうです。ご兄弟に聞いたところ、弟さんが保管しておられ、当店に修理を依頼されました。エニカというスイスの名門時計でした。年代物だったため、修理に半年ほど時間がかかりましたが、修理が終わりお客様にお渡しすると「動いているのが嬉しい。父がつけていたのを思い出す」と言って、大変喜んでいただくことができました。
【背景】
携帯電話やアップルウォッチなどスマートウォッチの普及に伴い、アナログの時計が売れなくなってきています。持っている人も、携帯電話で時間を見ることができるので、身に着けなくなっています。顧客の話を聞いていると、使わなくなった時計が家にある人は多いと思います。でも、修理代も高いので、動かなくなったら捨てればいいという「使い捨て」の考え方が広まっているようです。
【タイムリペアYについて】
代表の池は、小学校のころから時計が好きで、『ビギン(Begin)』という雑誌を読んで、ロレックスやオメガといった高級時計に憧れていました。
社会へ出て約10年、時計と関係ない仕事をしてきましたが、一番好きなことを仕事にしようと決意し、地元岐阜の老舗時計店に就職しました。そこで時計の販売を覚え、名古屋の輸入時計卸へ転職しました。それから、今後の時計業界は販売が減るので修理の方が大切だ、と考えて修理を覚えることとし、名古屋の修理会社、大阪の百貨店時計売場、百貨店関連の修理会社店長と、転職を重ねました。
ところが、会社から「儲からない仕事は受けるな」と言われ、顧客の要望を断らざるを得なくなって悶々とすることが増えたため、独立することにしました。今では、できる限りお客様の要望に沿えるように、修理業者のルートを増やしており、対応できる範囲を広げています。
開店当初から、近くにあって閉店した時計店の顧客が来るようになり、リピーターになってくれました。また、近くの大衆演劇の芝居小屋「千成座」の常連客や、すぐ目の前で繁盛している魚屋「さかな館」がクチコミしてくれたこともあり、商売が軌道に乗ってきました。
【今後の方針】
顧客の要望に沿って、止まっている時計を動かし、生き返らせることが第1の目標です。これまでの経歴を生かして開拓した修理業者のルートを持っており、顧客のさまざまな要望に対応できる体制を築いています。電池交換はほとんど代表自身がやりますが、それ以外の修理は、ご予算も考えながら、最適な業者を選定して依頼し、顧客の希望を叶えます。複数の業者ルートを持って適切な対応をしている修理屋は、珍しいと思います。
電池交換の金額は、国産500円、舶来1000円と安く設定しています。時計をずっと使ってもらうのが最終目標なので、値上げはしないつもりです。電池交換に1本3000円もかかるとなると、携帯電話もあるので、もうその時計は使わなくなってしまうでしょう。せっかく何か想いがあって購入したはずですから、そのストーリーを引き続き動かしてほしいと望んでいます。それが心の豊かさにもつながると思っているのです。
開店するとき、無店舗でネット完結の方がコストもかからなくてよいという意見もありましたが、そうはしませんでした。現代は、コスパとかタイパとか言われ、何事にも手間をかけずに手っ取り早く済まそうという時代です。しかし、当店は、ネット販売して配送して終わりではなく、店舗に足を運んでいただいて対面し、会話しながら提案するというコミュニケーションを大切にしています。その結果、たとえばベルトの色ひとつとっても、顧客自身が思ってもみなかった意外な色を試そうと思ってくれたりして、新しい展開が生まれることがあります。そうやって、暮らしに彩りを増やしていきたいと考えています。
今、時計店の閉店が増加しています。商店街全体でも、昔はもっと人がいて賑わっていたと聞いています。すぐ目の前の「さかな館」の顧客は、大阪の能勢や伊丹などの遠方からわざわざ来店されています。当店も、他と同じようなことをするのではなく、個性的でわざわざ来たいと思ってもらえる店を目指しています。そのためにも、引き続き、積極的に社会貢献していきます。そして、地元の商店街を盛り上げる、地域貢献できるお店のひとつになりたいと考えています。